医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラムコラム-“病気”や“医療過誤”についての連載。

2月27日 減らない医療過誤03 体内の忘れ物

 ロンドンの医師法律保険協会に、1962年から79年にわたって起きた「手術時の忘れ物」報告があるが、これを見るにはいささかの勇気が必要だ。
 表に示したとおり、手術時体内に残されたもので多いのは「ガーゼ」であるが、メスなどの手術器具や針などもかなりあり、79年には合計126の忘れ物があったというのは、患者にしてみればぞっとさせられる話である。
 同じく、ロンドンで起きた本当にあった話。
 腎臓手術後一週間で死亡した76歳の女性の遺骨のなかから、30×10センチの大きなガーゼ鉗子(ハサミの形をしている)が発見された。
 手術創の大きさは長さ17センチ、深さ12センチというもので、どう考えても鉗子がそっくり体内に納まるはずはなかった。
 手術室や器具室を詳しく調べても、鉗子がなくなった事実さえも見出せなかったという。
 先ごろ外務省で起こったNGOがらみの話同様に、誰かが嘘を言っているのかもしれないが、とうとう真相はわからないままで終わった。
 実際、手術で用いた器具の置き忘れはいつも頭の痛い問題で、今でも時々そういったニュースを耳にする。
 手術室というところに足を踏み入れたことのない人々は、手術というのは厳粛かつ神聖に行われるものだと思い込んでおられるかもしれない。
 テレビドラマなどでは、どちらかというと手術室の外で、不安気に手術の終わるのを見守る家族の映像や表情が映し出されるせいもあり、全体に重苦しい空気が流れているのが印象として残る。
 ところが、もともと人の集中力には限度があり、現実には初めから終わりまで張り詰めた雰囲気を維持するのは難しい。
 外科医は、ここぞというときにこそ気持ちを俊治に集中させ、腕や技を発揮するが、時々冗談を交わしあい、笑いあったりもする。
 特に、無事に手術を終え傷口を縫合するあたりになると、ヤマ場は越えたわけだからつい気も緩み、鼻歌交じりでテキパキと針や糸を巧みに動かしたり、手術を無事終えたら美味いものを食べに行こう、などの会話が飛び交うことだってある。
 逆にいえば、そういうふうにメリハリをつけないと、「やってられない」作業であり、だからこそ難しい手術にも挑み目的を果たすことが出来るのである。
 多分、ガーゼや器具の置き忘れは、緊張を強いられた人間の隙を狙うようにして、「スッ」と気の抜けたときに起こるのだろう。
 手術後の検査で、思いがけない異物の存在がわかったとき、一番納得のいかない思いをするのは、当の外科医たちであるかもしれない。
 残念なことに、患者となって手術台にあがった後は、まさしく「まな板の上の鯉」であり、もはや自己(事故)管理は不可能だ。
 「器具の体内置き忘れ」事故は、酷ではあるが、ひとえに運・不運の問題といえるだろう。

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