Production著作/論文
コラムコラム-“病気”や“医療過誤”についての連載。
患者の立場からいえば、医師を含む医療従事者との間には「情報の大きな格差」があり、絶対的に「不利」であることは先週述べた通りである。
しかし、次に紹介するような実例はどう解釈したらいいのだろうか。
作家の中島みち氏は、ご自身も乳がんを経験されたが、親族と夫をもがんで亡くされた。
その経緯についてはいずれも妙なことだらけで、専門家であるはずの医師たちの専門性を厳しく問い正す内容となっている。
まず、中島氏の姉について。姉はある日、お尻に直径5ミリくらいのホクロを見つけ、近所の医師のもとを訪れた。
そこで、急ぎ皮膚科の権威といわれる大学病院の教授を紹介されるが、その教授は「こんなのはただのホクロだ」と言うばかり。
最初にかかった医師からは必ず病理組織検査をしてもらうよういわれていたため、患者である姉の口から、切り取ったそのホクロの組織検査を頼んだが、結果的にその検査は行われなかったのだという。
その教授は組織検査の必要さえないと判断したのである。
ところがそれから3月経った頃から足の付け根のリンパが腫れはじめ、歩行も不自由になっていく。
そうなってからはじめて組織検査が行なわれ、ただのホクロではなく悪性の皮膚がん(メラノーマ)と診断されるのだ。
その時にはすでに手遅れで中島氏の姉はわずか半年あまりで亡くなってしまった。
また、中島氏の夫は肺がんであった。
しかし当初はいずれの医師にかかっても「ヘビースモーカーに多い気管支炎」といわれ、単純なX線検査だけを行い、気管支鏡検査はしてはもらえなかった。
仕事の真っ最中に倒れ、病院へ運ばれた後にやっと気管支鏡検査が行われ、心臓の真裏にあるがんの存在が分かったが、その時には「今夜中の命かも」と言われる有り様であった。
このようながんを「肺門部がん」といい、X線で発見される「肺野部がん」とは違い、喀痰の検査か気管支鏡検査でなければ発見することはできない。
ここでも「気管支鏡検査をして欲しい」という中島氏の頼みは専門家であるはずの医師からはねつけられたのだった。
素人であるはずの患者やその家族から検査をお願いされたにもかかわらず、それを怠った両ケースは明らかな医療過誤のはずである。
しかも相手はただの医師ではなくてその道の権威といわれる人々であった。
家族の無念さは、はかり知れぬものがあるが、中島氏のように医学的法的知識のある場合は、後からでも経緯について冷静に判断ができ、その是非を問うことができるものの、そのような武器を持っていない患者らは、いったいどうすればいいのだろうか