医学博士・医学ジャーナリスト
オフィシャルサイト
植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Otherその他活動

コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

1月15日~2月4日掲載
なぜいけないのか、病院の株式会社化

 実現しそうで決して実現しそうにないもののひとつに、病院の株式会社化というのがある。これは、従来病院の経営は医療法人か社会福祉法人であるべきといった規則を、株式会社も病院経営できるようにしたらどうかという、それほど突飛な案とも思えない提言を意味する。医療改革制度が検討される中で、この話題は常に登場し、そして最終的には必ず否定されることになっている。株式会社ではいけないという厚生労働省や医師会の見解を聞いてみると、いわく医療の本質に関わる問題である、とか、株式会社の目的は経済効率の追求にありその原則を医療に適応するのは国民のためにならない、とか、メリットがない、とか、平等な医療ではなくなる、とか、まぁこんな意見が出てくる。まるで、現在繰り広げられている医療が国民にとって平等であり、経済効率追求があたかも悪の行為であり、社会法人・福祉法人による病院経営には何の問題もないかのような論調である。しょっちゅう出てくる「医療の本質」も、わかるようで何のことだかわからない。恐らく、医療イコール聖域であるべきだと言いたいのかもしれないが、医療分野が聖域だと本気で考えている人がいったいどれくらいいるというのだろう。社会福祉法人や医療法人が経済効率とは無関係であり、営利無視で運営していけると誰が考えているだろう。いやいや確かに聖域ではある。それは、真剣に仕事に従事する医師や看護師らがそれこそ労働条件無視で働いていることによる。残業手当だとか有給休暇だとか、とりあえずそんな概念はほとんどない。医者は当直明けでそのまま外来や手術を担当し、看護師は患者急変によって勤務時間が果てしなく延びる。特殊といえば特殊だが、それが当たり前であり、労働条件や給与を重視すれば、こんな仕事ばかばかしくてヤッテラレナイ。おのずとボランティア精神や使命感に支えられて日々おとなしく働くしかない。

 しかし、そういった労働条件が医療ミスの温床になっていることももはや常識、なのに人件費の高騰を恐れてか、人材確保を目指した改革には決して着手しようとはしないのだ。ゆえに真面目に仕事に取り組む医療従事者ほど、病院経営の株式会社化には反対する傾向があり、ここがまた哀しいところだ。なぜなら、株式会社化が実現すれば、病人は皆「お客様」であり、まずは病院経営に大きく影響する医療ミスの根絶に徹底的に取り組まざるを得なくなる。雪印を見よ、企業とはたったひとつのミスであっけなく倒れてしまう宿命なのだ。とすれば、おのずと現在の人員体制では無理があるため、様々な工夫をし、人材を確保し、教育を徹底的に行わなければならない。今過酷な条件下で体を駆使して仕事をしている医療の専門家にとっても決して悪い話ではないはずである。自然と外国人の登用だってあり得るし、混合診療の導入だって実現していくことだろう。このような変化は、今過酷な条件下で体を駆使して仕事をしている医療の専門家にとっても決して悪い話ではないはずである。株式会社化とは、いかにたくさんの患者を引き寄せるかといった点で激しい競争が起こることにつながる時代の到来を意味しているのだ。結局厚労省はそれが恐いのだろう。

 なぜなら、患者中心の医療(患者の満足度を高めるような医療)を真剣に目指すそのような取り組みは、結果的に医療費アップにつながり、同省の目論見とは完全に逆方向であるからだ。また、医師会も同じく、質の高い病院は恐るべき競争相手として彼ら開業医にとってはすこぶる脅威的存在なのだ。だから両者とも格好つけて反対する、ただそれだけのことである。株式会社が云々と言う前に、現在でもはっきりしていることがある。それは国公立系の病院とそうでない病院では、患者の不評は圧倒的に前者にあるという現実だ。つまり親方日の丸、公務員体質の病院は印象としてサービス悪く、愛想もない。言うまでもなく、働く側にとって、国に守られた体質の中では人間の労働意欲をそそるインセンティブは働かないという自明の理がすでに存在している。あちこち八方塞がりの医療改革であることはたびたび色々なところで触れている。挙句の果ては保険料や自己負担アップの小手先案にとどまり、国民の不満をあおっているだけの現実もわかりきっている。思い切って株式会社化を実行し、彼らのお手並みを拝見するくらいの余裕と思い切りと太っ腹がこの国の官僚たちに最も足らないのである。日本(の病院)は、中国より共産主義だと述べた中国人医師の言葉がまざまざと蘇る。議論ばかりを繰り返し、結果的に何も変わらない日本。その言葉に何ら反論できないのが実に情けなく、ただただ頭を垂れるのみである。

ページ上部へ