医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

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コラム「一刀両断」コラム「一刀両断」の連載。

8月29日~9月9日掲載
行政サービスは、サービスにあらず

 近頃、所用で役所の窓口を訪れる機会が多くあった。まったく、「お役所仕事」と非難されて久しいにもかかわらず、相変わらずの縦割りかつスローな仕事ぶりで、辟易してしまった。業務内容そのものが縦割りという点も問題だが、そもそも仕事に携わる職員の意識が縦割りなのだ。自分の目の前にある、決まった事象しか視野にない。書類を持ってうろうろするお年寄りがフロアにいようが、言葉が不自由そうな外人がいようが、いっさいお構いなし。あれでは問題意識など存在せず、ましてや市民(国民)に対してサービスしようという気概も生まれない。だいたい、カウンターで仕切ってあるところに「サービス」の概念はない。役所しかり、銀行しかり、ついでにいえば薬局しかりである。サービスとは、みずから一歩踏み出して顧客と接するところからがスタートである。カウンターの向こう側で、ただ待っているだけの姿勢に「サービス」のエッセンスは微塵も感じられない。たまに、「案内係」なるものを設置しているところもあるが、ほとんどが、やはり囲まれた(保護された)カウンターの中で座っているだけ。みずから動いて、困っている人々に手をさしのべるセンスはまったくないのだ。

 そんなことに憤っていたところ、もっと驚く記事が目に入った。保育所(園)の民営化問題である。自治体が運営する保育所を民営化しようとしたところ、父兄から一斉に反発が起こり、一部の自治体では撤回、見直しの作業に入っているという。自治体の民営化に対する意向としては、財政難がまず根底にある。また、民営化にしたほうが効率的な経営や保育ができるというのが言い分。これでは、いわゆる役所のやり方ではだめだということを役所自身が認めていることになる。効率的というと、ドライでクールな印象を受けるが、決してそうではない。最小限のコストでかつ質のいい保育を行うことにある。先日もBSテレビで、株式会社による病院経営問題を論じる番組があったが、見城美枝子という女性が効率化という言葉にこだわり、効率化や民営化イコール経済優先であり、いかにも弱者が切捨てられることを危惧するようなアホなコメントを懲りずにしていたが、まったくお門違いもいいところだ。で、保育所であるが、父兄の反対意見としては「民営化=保育の質の低下」だそうだ。保育所や保育士の質が、民営化すると劣るというのは何を根拠にして主張しているのだろうか。なんだかなー。日本は官尊民卑の国だというが、それが一層強くなる気がして息苦しい。なぜそんなにも国に守られたいのだろう。

 たとえば、裁判になって弁護士が必要になったとき、自分で弁護士を探して依頼するのがまず第一。ところが、お金がないとか、知った人がいないというときには国選弁護士が派遣される。つまり、どうしてもしかたのない場合にのみ国があてがってくれるというわけ。国選弁護士は、費用は安いもののはたして優秀かどうかはわからないがそれは仕方がない、という暗黙の了解がある。個人と国とのかかわりの基本形はこれである。国の関与はなるべく最小限にし、その分個人の自由度の幅や選択肢を大きくする。そうでなければ市場も生まれないし、自由な社会とはいえない。さすが、ゴルバチョフに「世界で唯一成功した共産主義国」といわれただけのことはある。せっかく、自治体が行政サービスの一部を自由度の高い民間に委ねようというのを国民がこぞって反対するのだ。その言い分には根拠がありそうで実のところはないのに、である。医学の分野にプラセボ効果というのがある。本当はただの水なのに、薬だといって飲ませると一定の効果がある、というものだ。薬といわれただけで、心理的作用によりそれが効いているように思えてしまうことをいう。場合によっては本物の薬より効き目を発するケースも少なくない。国民は一種のプラセボ効果に陥っている。いっそのこと、保育所を自治体運営か民間運営かわからぬようにしてやってみるがいい。内容だけを勝負させるのだ。評価基準は色々あるが、選択されるかどうか、生き残れるかどうかのときにこそ、民間の力は最大限に発揮されるはずである。一定の期間をおいたのちに評価をさせたときが面白い。自治体が勝てばそれはそれでよいが、はたしてどうか。役所体質をみていると、その確率が高いとは思えない。ひとまず実験として試みることは、少なくとも根拠のない反対を続けるよりはうんと楽しいし、将来にわたって子供たちのためになるだろう。

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