医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。

11月27日 「がん」について 54
がんの痛み3

 先週、先々週とがんの痛みについて書いている。遅れていたがんの痛みに関する研究が少しずつ進み、WHOが「がん疼痛治療指針」を明らかにしたことが、がんによる痛みの緩和に大きく貢献したことにも触れた。
 誤解の多いモルヒネ投与に関して、国立がんセンターの下山直人さんは、モルヒネは痛みを和らげるために用いられれば精神的な依存は起きないこと、モルヒネの量を少しずつ増やしていくことで段々と効きにくくなっていく現象は認められないこと、たとえ長期に使用しても健康な臓器まで侵害されることはまずないこと、について述べている。
 しかし、そうはいっても臨床の場面では、マニュアルに従ってモルヒネを投与しているのに、少しも痛みが消失しない例に出くわすことがある。
 これは単純に考えれば、痛みの度合いと、モルヒネの投与量や方法がマッチしていないことによるのかもしれない。
 が、私がここで強調したいのは、患者の精神的不安がある場合の薬の効き方について、である。がんの痛みが増長するのは、不安や恐れ、絶望感や怒りなどによる場合も多い。
 そういった「負の感情」が身体的な痛みを実際よりも大きく拡大させ、からだの痛みに相当するモルヒネを投与しても、いかにも反応が悪いかのように思えてしまうことはよく見受けられる。
 逆に、精神が安定しているときには、痛みがあるはずなのにそれほど感じないこともあり得るということになる。
 実際、ベッドサイドで患者の話をじっくり聞いたり、体をさすったり手を添えたりする行為によって痛みが軽減することもある。
 しばらく家族が見舞いに姿を現さないとしょっちゅう痛みを訴えるのに、家族が訪れた夜には安らかに睡眠できる人もある。最後だから、との配慮で外泊が許され、1~2日を家で過ごすことができた後には、やはり痛みが和らぐ場合もある。
 たとえどんなに適切にモルヒネの投与ができても、心の安定がなければその効果は最大限発揮されないものである。
 日本人は、どちらかというと感情をそのまま表出させることについて好まない文化を持つ。特に男性に対しては涙を見せることさえ「男らしくない」とか「男のくせに」との評価が浴びせられる。
 感情をあからさまにするのははしたない事、みっともない事と教えられてもきた。ついでにいえば「しゃべりすぎ」であるのも品性がないといわれる傾向が強い。
 男のみならず、武士の妻たるやたとえ夫が命を落とそうともじっと耐え忍び、決して取り乱すことのないようしつけられた時代もあった。
 そのような文化が痛みの研究を遅らせた要因にもなったことだろう。
 喫煙もそうだが、健康や病気と文化については双方時に相反する歴史や教えを持つものであり、医療の進歩に待ったをかけることにつながることがままある。

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