医学博士・医学ジャーナリスト
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植田 美津恵
日本の医療・福祉・健康を考える

Production著作/論文

コラム「がんについて」コラム「がんについて」の連載。

12月25日 「がん」について 58
追悼記

 以前にこの欄で、知人の医師がすい臓がんになり、手術後痩せた体で復帰にかける様子を紹介したことがあった。
Aさんの名で登場してもらったが、先月そのAさんが亡くなった。
 Aさんは、仕事を続けながらも次第に色々な催し事に出席ができなくなり、私もお会いする機会がなかったのだが、11月上旬のある日まったく偶然に彼と会うことができた。
 相変わらず痩せたままで、近々何度目かの手術をするのだと言っていた。
 しかし最近、痛みと吐き気が治まらず、大変にしんどいものだとも話していた。現役は退いたものの、色々な仕事を抱えていたらしい。だがそれもそろそろ手放す時期が来たと、と言う。
 それほどまでに痛みと吐き気が強く、おのずと約束の時間に遅れたり、やむなく欠席しなくてはならなかったりで、これ以上皆に迷惑をかけられない、とのことであった。
 介護保険の介護度を認定する会議の委員も務めていたが、責任ある立場で働くのはもう限界だとの意識が強いようであった。
 意外にも話す内容そぐわずAさんは元気であった。
 きちんとしたスーツ姿で、吐き気があるといいながらお茶と和菓子を平らげていた。顔色も決して悪くはなく、そんなAさんが痛みや吐き気から来る苦しさについて話していても、どこか人ごとのように聞こえるほどであった。
 相変わらず、吐き気が消えたら飲みに行こうとどちらからともなく言い合い、Aさんのあまりのさり気なさに、それがいつの日か実行するかのように思えてしまった。
 長い間、医療従事者として生きていると、人間の生死に鈍感になってしまうのかもしれない。
 いい意味で慣れてくるというか、達観できるというか、淡々と話すAさんを見ていると、そんな風にも感じられた。
 しかし、さまざまな約束はあっけなく破られた。
 その二週間後にAさんは逝ってしまったのだ。
 すい臓がんは、最近じわじわと増えている難治性がんのひとつで、いわば「イヤながん」のひとつにあげられている。
 すい臓がんの予後の悪さは十分に知っていたはずなのに、Aさんと話していると死はまだまだ遠いところにあるような錯覚に陥ってしまった。
 私は、現役時代のAさんを知らない。
 はじめてお会いしたときは、すでにリタイア後で悠々自適の頃であり、白髪混じりの好々爺といった風情であった。が、聞くところによると、若い頃は潔い白衣がよく似合う外科医だったという。
 颯爽と廊下を歩くAさんの姿を昨日のように思い浮かべるのだと教えてくれた。
 三人にひとりががんで亡くなる時代を迎えた。
 自分はどういうがんになり、どんな死に方をするのだろうと時々考えることがある。
 Aさんの死と向き合う様は、いつまでも忘れないだろうと思った。

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